昨年の暮から、セブ島に居た約1ヶ月半程度はかなり無理をして「ブログ記事の更新作業」をやってみた。その期間だけはブログ記事の内容はともかく毎日の更新作業は出来ていた。

しかし、2月初旬に日本へ帰国した途端に更新作業は途切れ … その後、体調を崩し約10日間の入院生活 … やはり何事も”肉体的”にも”精神的”にも健康でなければ何も出来ないと実感した次第でございます。

今回の入院でわかったことですが、肉体的・身体的にはいつもの通りの悪さでして、主治医との問診中には「鬱病」の疑いまで出てきてしまいました。道楽親父地震感じるところでは、「いつも何か落ち着かない … 心配事など無いのに不安を感じる。夜何時に就寝してもよく眠れない。」などの症状があることはあるのですが、それでもちょっと心配になりますので、本日午後に依然かかったことのある「神経内科のクリニック」で診察を受けようと思っています。

「買い物」などをしてみて気分転換をしてみましたが、そんな贅沢な不安解消などばかりしていられませんからね。

そんな中、ヤフオクで見つけた時間も技術も要するようなプラモを入札してみましたが、ほんのちょっとの差で落札できませんでしたので、「密林(Amazon)」でかなり廉価なプラモを”ポチっ”てみました。

ドイツレベル 1/24 ベントレー Blower

ブロワー(Blower )はベントレーが生産した乗用車であり、4½リットルの「スーパースポーツ」仕様であった。

クランクシャフト前端で駆動するアムハースト・ヴィリヤース製ルーツ式マークIV型スーパーチャージャーを装備し、マグネシウム合金製クランクケースの採用で軽量化し、ピストン、コンロッド、オイルポンプ、クランクシャフト、シリンダーブロック等に強化を受けていた。

初期型5台はワークス仕様でブースト圧を10lb(約0.7バール)と高くするため圧縮比は4.5と低く設定されていた。

量産型は圧縮比5.1、後期型は自然吸気型と同一の圧縮比5.3でブースト圧9.5lbから175hp、もしくはブースト圧10lbから182hpを発揮した。

生産台数は55台。

白洲次郎とベントレー3リッター

白洲次郎が英国のケンブリッジ大学クレア・カレッジへ入学したのが、1923年(大正12年)のことだった。白洲は翌年 1924年5月24日 、22歳の彼はベントレーのディーラーで『ベントレー3リッター・スピードモデル』を買い求める。

1919年、W.O.ベントレーによって生まれた『ベントレー』は、1923年から始まったルマン24時間レースで1924年、27年、28年、29年、30年と圧倒的な強さで5勝。『ベントレー』は英国人の誇りとなった名車です。

当時の自動車レースは市販車をそのままの状態で走らせ、その性能を競いましたので、若き日の白洲は、当時における世界最高の性能を誇る車を選んだのでした。

白洲の父である文平が、大正から昭和初期にかけ綿花貿易で莫大な富を築いたとはいえ、まだ22歳の若者であった次白洲が研究に研究を重ね、当時、世界最高の競争用自動車ともいえる『ベントレー3リッター』しかも『スピードモデル』を選んだことが、凄いと想うのですね。お金があるなら、もっと優雅で安楽な車という選択肢もあったと考えます。

しかし、白洲は、そういう甘い選択をしません。この時代の『ベントレー』は「もっと速く!」「もっと激しく!」と極限のスピードを要求して来るレーシングライクな車だったのです。

白洲次郎は若くして「半端」な生き方を選ばない、潔さがその後の人生を貫いていきます。まさに、彼が生涯大切にした『プリンシプル(原理・原則とでもいうのでしょうか?)』な生き方です。

* 今また日本の自宅に有った白洲次郎の本を読み返しています。プラモは読書と並行して白洲の気持ちになって作りたいと思います。

昨日からこのブログを再開しましたが、出来る限り途切れること無く更新作業をしていきたいと思いますので、また読んで下さいね !!

道楽親父の今日の名曲

貴方はどっちの曲が好きですか ?!? ♡♡♡ !?! 道楽親父はどっちもどっちですが、ギターソロの後の曲のほうが好きですね。