不肖 藁科豊 "道楽親父"のこれがセブ島(フィリピン)お気楽生活だ … !

葬式無用・戒名不用

It is disused a funeral useless posthumous Buddhist name

IMG_1307

葬式無用戒名不用

FORD F-150 1999-2000 model 2004-2015

それは実にあっけない最後であった。

2015年5月 … 自宅駐車場に停めてあった愛車 F-150 のエンジンに火が入らなかった。その日は朝から忙しく、そのままにして外出してしまい帰宅後に様子を見てみたが、セルモーターが起動しない状態でエンジンはかからずじまいだった。

リレーやバッテリーを交換しても症状は回復せず、修理屋(韓国人)に来宅してみてもらった。その修理屋曰く「セルモーターが駄目で一度取り外す。」ということなので、牽引して行くわけにもいかず「ローダー」に乗せて修理屋まで運んだ。

翌朝、電話が入り「セルモーターは治ったが、大きな問題がある」ということなので、午後一番で修理屋に出向いた。しかしそこには変わり果てた我が愛車 F-150 がリフトに上げられ止まっていた。

エンジンの下にはパンが置かれ油と水が溜まっていた。修理屋の説明を聞くと「エンジンをかけたら穴が空いた」という説明にならない言い訳が帰ってきた。エンジンのブロック下部には左右二つの直径2cmほどの穴が空いていた。

その修理屋は「エンジンは80,000 peso で用意できるがどうするか ? 」ということだったが、どうにも納得のいかない私は「明日、ローダーを回すので家に持って帰る」とだけ言い残してその場を立ち去った。

しかし、その後” F-150 がどう弄られてしまうか”が心配でしょうがなかったが、私には”為す術が無く”そのままにした。

そして今日、自宅の駐車場に戻ってきた。嫁 … 嫁の縁者は皆口を揃えて「日本人だからいい加減な修理をされて、もっと大きなお金をせしめようとエンジン・ブロックに細工(穴を開けた)をしたのではないか ? 」とまで言いだす始末で、私はその場を取り繕うのに困った。

幸い修理屋に運ぶ前の「証拠写真」というかスナップ写真があり、弁護士を立てて係争しても良いかとも思いましたが、この国で裁判は「金と時間」がかかることですので、あっさり諦めました。

最近その修理屋は仕事が無くあまり忙しくないようだとの評判があり「バックジョブ」がミエミエとも思えるのですが、余分なお金と時間は使いたくないというのが、私の本音です。

愛車 FORD F-150 は 2000 model … 既に15年物の”ビンテージ車”ですから、マッチングするエンジンを気長に探して、1年後、3年後、5年後、10年後に再び我が愛車 F-150 の咆哮を聞いてもいいのではと思ってしまうのです。

何しろ此処はフィリピン・セブ島 … 暑い国なんだから、ましてや私は日本人(外国人) … 思うようにはことは運ばないのですよね。

2015年5月20日午後2時 … 彼は我が家に帰ってきた。駐車場に入れるのにちょっとばかり最後の無理を聞いてもらい、エンジン始動 … わずか数分の雄叫びであったが、彼は精一杯の力を振り絞って少しの傾斜を這い上がり定位置についた。

私は何気ない一連の動作でそれをこなし、無造作に彼を降りドアを閉めた。しかし我が家の駐車場であるのでドアのロックはかけずにいつでも乗り込めるようにしておいた。

心の中で「10年間お疲れ様 … いつの日にか、”ちゃんとした形”でお前を再びセブ島の潮風の中を疾走させてやる。」と誓った。

だからお前には今読んでいる本の”白洲次郎”のように「葬式はしないし・戒名も付けない」そうです、私たち家族の心の中では彼は永遠に生き続けるのだ。

新しい命

今日は一日中と言って良いくらい、愛車 F-150 にもう一度火を入れるためにネットで中古エンジン(FORD Triton V8)を探してみた。しかしながら、フィリピンのルソン地域でもビサヤ地域にもその売り物は出てこない。

「バイ・アンド・セール」で探してはいるが、年式が古いだけにサープラス(中古品)としては中々市場に出回らない代物のようである。

しか〜し、全く同じ年式の F-150 を見つけちゃったんですね … しかもビサヤ地域・セブ島(バナワの中古車屋)で … 走行距離数もほぼ同じ、機関良好(オーナー談)、車内は極上とまではいきませんがとてもぴいコンディション、外観では再塗装された風もないのですが黒の車体はかなり綺麗、サイドステップ、荷台のロールバー(未配線フォグ・スポット付き)、アルミホイール(社外)、純正デカール etc,

「価格は交渉次第」と言ったところでしょうか ?!?

その現車とは明日5月21日(木)午前11時にホワイト・ゴールドの駐車場でご対面です。

しかし駐車場に停めてある「休憩中」の F-150 に”新しく代わりのエンジンを探してやる”ことには何も変わりありません。

「待っていてくれよな ! 」

白洲次郎

白洲 次郎(しらす じろう、1902年2月17日 – 1985年11月28日)は、日本の官僚、実業家。兵庫県芦屋市出身。

終戦連絡中央事務局次長、経済安定本部次長、貿易庁長官、東北電力会長などを歴任した。

連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍し、終戦連絡中央事務局や経済安定本部の次長を経て、商工省の外局として新設された貿易庁の長官を務めた。吉田茂の側近として連合国軍最高司令官総司令部と渡り合う。吉田政権崩壊後は、実業家として東北電力の会長を務めるなど多くの企業の役員を歴任した。

一時は忘れられた存在であったが、1990年代中盤頃から少しずつ再評価され各種メディアで取り上げられることが増え、21世紀に入ってからは「日本のプリンシパル」(ここでは“有数の要人”程度の意味)と持ち上げる書籍が多く刊行されている。

80歳まで1968年型ポルシェ911Sを乗り回し、ゴルフに興じ、また、トヨタの新型車(ソアラ)のアドバイスなども行なっていた。三宅一生のショーにモデルとして出演もした。しかし1985年(昭和60年)11月に、妻の正子と伊賀・京都を旅行後、体調を崩し胃潰瘍と内臓疾患で入院、同年11月28日死去した。83歳没。墓所は兵庫県三田市の心月院である。

妻の正子と子息に残した遺言書には「葬式無用 戒名不用」と記してあった。実はこの遺言書のフレーズは、白洲の父親が死去した際に残した遺言の内容とまったく同じであった。そして白洲の墓碑には正子が発案した不動明王を表す梵字が刻まれているだけで、戒名は刻まれていない。

【出典:Wikipedia】

道楽親父

  • facebook
  • twitter
gundam-mactanbase.long
新聞トップ
BLOG-Cebu
BLOG-Philippines
代表戸締り役
自宅警備員
bnr-SNN
bnr-JSA
vesmo-titletxt-%e9%80%8f%e9%81%8e

道楽親父

  • facebook
  • twitter
PAGETOP
Copyright © 不肖 藁科豊 Mactan Base All Rights Reserved.