不肖 藁科豊 "道楽親父"のこれがセブ島(フィリピン)お気楽生活だ … !

Morris Japan

MORRIS

モーリス楽器製造株式会社は、長野県松本市のギターメーカーである。

1967年創業、1970年代のフォークブームにおけるギター生産の一翼を担い、かまやつひろしをキャラクターに起用した「モーリス持てばスーパースターも夢じゃない」というキャッチフレーズのCM効果もあって、当時は年間30万本ものギターを製造していた。1980年前後にはオールナイトニッポン(ニッポン放送)のスポンサーとなり、堀内孝雄(当時はアリス)がCMキャラクターとして出演していた。

近年はフィンガーピッカー向けのSシリーズをはじめとするいろいろなシリーズのギターを発売し、「新生Morris~大量生産から、半手工品へ~」のキャッチフレーズを掲げ、良質なギターを作り続けている。また、日本のトップギタールシアーである横山正が在籍していた。

MORRIS 公式ウェブサイト

ホームページからの抜粋

モーリス楽器の歴史は、その前身である「穂高」ブランドから始まっています。世の中がグループサウンズ全盛期、つまりエレキギターブームに涌いていた60年代に創業されました。「Hotaka/ホタカ」ブランドのギターは、独自のボデイーシェイプを持つ、フォークギターと大型ボディーのウエスタンギターを開発し、他社に先駆けてアコースティックギターの量産を開始し、その販売を㈱モリダイラ楽器が全面的に行いました。

当時は、日本のギター産業はエレキギターを中心として空前の伸びを示していました。輸出ブームと高度成長政策が裏にはあったのでしょう。

そして72年に、ブランドを現在の「Morris/モーリス」に変え、工場の生産体制もアコースティックギターの生産に向けて改革しました。この頃は、国内ではカレッジフォークや反戦歌、そして海外からはPPMやジョン・バエズ等の音楽も大ヒットし、アコースティックブームの始まりとなりました。また当社は、人気の出始めていたフォークグループ「アリス」とのタイアップによるプロモーションを企画し、彼らの人気急上昇と共に「モーリス」ギターの業績も確実に伸ばしました。

同時期、他にも「井上陽水」「さだまさし」「松山千春」など多くのミュージシャンもアコースティックギターで活躍していました。79年を中心としたピーク時には、「モーリス」ブランドのギターの国内販売本数は年間146,000本。輸出を含めると33万本に上り、自社工場のみの生産では需要に追いつけず、数社の協力工場にも生産を依頼しなければならない程でした。またこの頃から、アコースティックギターに関する情報も豊富になり製品のクォリティーにも大きく反映させる事が出来、当時の日本製品の「安かろう悪かろう」と言うイメージからも脱皮出来たのです。また、フォークと呼ばれた音楽ジャンルもニューミュージックと呼ばれるようになり、ミュージックシーンでは大編成大音量の演奏形態が盛んになりました。当然、アコースティックギターにも大きな音量が求められるようになり、弦振動をダイレクトにピックアップするために、セラミック技術を導入したトランスデュースシステムが搭載されるようになり、いわゆるエレアコという新しいジャンルのギターが出現したのです。

しかし80年代中頃、音楽状況の変化でアコーステックギターの需要は激減し、当社としては他のジャンルの製品を生産せざるえない状況に追いやられてしまいました。そこで新たに加わってきたのが、電子楽器でありエレクトリックギターでした。一時はアコーステックギターの生産工程の維持も危ぶまれる程になった事もありましたが、この工程を一時的にでも無くしたら将来の復活も有り得ないとの考えから、少ない数量でも確実に生産を続ける事と、販売会社の㈱モリダイラ楽器も地道ではありましたが販売促進の活動を続けることを決断したのです。エレクトリックギター中心のバンドブームを横目にみながらアコースティックサウンドの可能性を待っていたのです。

アコースティックギターの復活

10年近い低迷期が経過した後、アコースティックギターの将来が見えてきたのが、なんと意外なことにライバルの分野と思っていたハードロックバンドのステージにあったのです。彼らは、1回のステージの中で必ずバラードを演奏していたのです。それが、アコースティックギター1本で歌われ、ハードロックファンの心に何かを感じさせるようになっていたのです。90年代当初になり、このバラードの部分が発展したジャンルが新たに生まれてきたのです。それは、ロックグループのボーカリストが、アコースティックギター片手に、小さなライブハウスを回り始めたのです。時には、異なるグループ出身のボーカリストが一同に会しステージを構成することもありました。このマーケットは、我々に70年代の頃とは全く異なった感覚で、楽器に対する要求をしてきたのです。デザインやカラーリング、サウンド、そしていくつかの機能的な部分でした。しかしこれらは、我々が長年培ってきたノウハウの延長上にあり、難なくクリアーできるものでした。それは、少ない数になっても確実に生産を続けてきた努力の賜と自負しています。

全盛期には、国内にも20以上のブランドと50社以上の生産工場がありましたが、今となってはアコーステックギターを生産できる工場は数える程しかありません。しかし需要は確実にあります。日本にも本当の意味でのアコースティックギターの音楽が定着しつつあるように思えます。

そして、全盛期には若かったフォークミュージシャンも大物アーテイストとして活躍し注目されています。もちろん、若いミュージシャンにもアコースティックの感性を充分に供えた連中が育って来ています。長年の伝統の上に完成されたものは、いくら、物事の移り変わりの流れの早い現代でも、そう簡単に消えて行くものではありません。そして蓄積された技術は、簡単に真似の出来る物ではありません。我々は、終わりのない追求心を持って、日々惜しみない努力を重ねる事で、次なる発展に結び付けたく思っています。

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