不肖 藁科豊 "道楽親父"のこれがセブ島(フィリピン)お気楽生活だ … !

第62回 『クラプトン』エリック・クラプトン

スクリーンショット 2015-08-09 7.51.52

2015080500019_1 スティーヴ・ウィンウッドとのプロジェクトをいったん終えると(東日本大震災から半年後の2011年秋に二人で来日しているが)、クラプトンは、J.J.ケイルとの共演作第二弾を意識して、新作レコーディングに向けた動きをスタートさせた。2009年秋ごろのことだ。

『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』で強い手応えを得た彼は、「時間切れになる前に」という想いもあってのことではないかと思うのだが、あらためてケイルとの作品制作の可能性を打診したのだった。また、クラプトンにしてみると、『ザ・ロード・トゥ・エスコンディード』ではいくつかやり残したことがあった。たとえば、ケイル作品の重要な構成要素でもある、あのチープなリズム・マシーンの感じを再現することなどだ。そういった提案に対して、ケイルが出した条件は、主にクラプトンが曲を書くことだったという。

ともかく、そのようにしてレコーディングは動きはじめたのだが、なかなか思うように曲が生まれず、クラプトンは、少年時代から自分の記憶に深く刻まれてきた彼自身にとっての名曲への再訪に主眼を置くこととなった。「この曲をケイルが歌ったら……」などと考えながら進めていく作業は、それはそれで、楽しいものであったはずだ。

ところが、実際のレコーディングがスタートすると、リズム・マシーンがうまく機能せず、たまたま(!)隣のスタジオにいたベテラン・ドラマー、ジム・ケルトナーを呼び込むこととなる。つづいて、ケイルが体調を崩して離脱。ベーシック・トラック録音後にはクラプトンもある手術で入院し、最終的な仕上げはドイル・ブラムホールIIに委ねることとなる。2010年秋発表の『クラプトン』は、そのようにして仕上げられたアルバムだった(初ソロ作から40年の歳月をへて完成させた2枚目のセルフ・タイトル・アルバムというとらえ方もできるだろう)。

ケイルの作品が2曲。新曲は、ドイルの作品で、シェリル・クロウもヴォーカルで参加した《ダイアモンズ・メイド・フロム・レイン》など3曲。それ以外は、クラプトンの言葉を借りるなら「メンタル・ジュークボックス」からの選曲で、リル・サン・ジャクソンの《トラヴェリン・アローン》、ロバート・ウィルキンスの《ザッツ・ノー・ウェイ・トゥ・ゲット・アロング》、リトル・ウォルターの《キャント・ホールド・アウト・マッチ・ロンガー》、ミルズ・ブラザーズらが歌った《ロッキング・チェアー》、ビリー・ホリデイらが歌った《ハウ・ディーブ・イズ・ジ・オーシャン》、ファッツ・ウォーラーの《マイ・ヴェリー・グッド・フレンド・ザ・ミルクマン》と《ホエン・サムバディ・シンクス・ユアー・ワンダフル》など、いずれも渋い名曲ばかり。そして、最後はあの《枯葉》。アメリカ音楽史家として一目置いているライ・クーダーに相談すると、「そんなアルバムを出したら、あなたのファンを鞭打つようなものだ」と言われ、一時は本気で『WHIPLASH』というタイトルにしようかと考えたそうだ。

たしかに、クーダーの言うとおり。ここでのクラプトンは、「メンタル・ジュークボックス」で鳴りつづけてきた曲を、深い敬意を込めて、自分なりに解釈することだけを考えている。あらためて髪を伸ばし、カメラのレンズをしっかりと見つめている65歳のクラプトンは、「いけませんか」と問いかけているようだ。

ディスコ・グラフィー

  • 1970年 Eric Clapton(エリック・クラプトン)*初めて自ら全曲のヴォーカルをとった、ファースト・ソロ・アルバム
  • 1973年 Eric Clapton’s Rainbow Concert(レインボー・コンサート)*ドラッグ中毒の療養中に集まった友人達による励ましのライブ
  • 1974年 461 Ocean Boulevard(461オーシャン・ブールヴァード)*全世界のロック・ファン見守る中カムバックした初のスタジオ盤。全米1位
  • 1975年 There’s One in Every Crowd(安息の地を求めて)*基本的には前作と同路線のレイドバック・サウンド。
  • 1975年 E.C. Was Here(エリック・クラプトン・ライヴ)*「ギターの神様」を改めて思い起こさせるギタリスト・クラプトン最後の名作ライブ
  • 1976年 No Reason to Cry(ノー・リーズン・トゥ・クライ)*ボブ・ディランやロビー・ロバートソンをゲストにした和気藹々の録音
  • 1977年 Slowhand(スローハンド)*ソロになってからの最高傑作との評価が多い名盤。「コカイン」「ワンダフル・トゥナイト」収録
  • 1978年 Backless(バックレス)*461からのバック・バンド最後のアルバム。「プロミセズ」がスマッシュ・ヒット
  • 1980年 Just One Night(ジャスト・ワン・ナイト~ライヴ・アット武道館)*アルバート・リー(g)を迎えたニュー・バンドでのライブ
  • 1981年 Another Ticket(アナザー・チケット)*オール・イギリス人バック・バンドでの唯一のアルバム「I Can’t Stand It」がトップ10ヒット
  • 1983年 Money and Cigarettes(マネー・アンド・シガレット)*自らDUCKレーベルを設立しワーナーへ移籍したが、セールスは近年最悪だった
  • 1985年 Behind the Sun(ビハインド・ザ・サン)*フィル・コリンズがプロデュース&ドラムで参加し、久しぶりに大ヒット。「フォーエバー・マン」収録
  • 1986年 August(オーガスト)*再びフィル・コリンズが参加した大ヒット作。YMOの曲にマイケル・ジャクソンが歌詞をつけた「ビハインド・マスク」収録
  • 1989年 Journeyman(ジャーニーマン)*久しぶりにブルースを感じさせるシブイ仕上がり。「オールド・ラヴ」収録
  • 1991年 24 Nights(24ナイツ)*87年ロイヤル・アルバート・ホールでのライブ。クリーム時代の代表曲「ホワイト・ルーム」「サンシャイン・ラヴ」も披露
  • 1992年 Rush(ラッシュ~オリジナル・サウンド・トラック)*映画「ラッシュ」のサントラ。「ティアーズ・フォー・ヘヴン」が大ヒット
  • 1992年 Unplugged(アンプラグド~アコースティック・クラプトン)*MTVアンプラグド・ブームを巻き起こすきっかけとなった名盤。
  • 1994年 From the Cradle(フロム・ザ・クレイドル)*全編ブルースのカヴァー・ソングというシブ~イ作品
  • 1998年 Pilgrim(ピルグリム)*日本盤には、ボーナスで「ティアーズ・イン・ヘヴン」「チェンジ・ザ・ワールド」を収録しているのでお得
  • 1999年 Best Of Eric Clapton(ベスト・オブ・エリック・クラプトン)*ニュー・シングル「ブルー・アイズ・ブルー」を含むベスト
  • 2000年 Riding with the King(ライディング・ウィズ・ザ・キング)*E.C.の音楽ルーツでもあるB.B.キングとのコラボレーション
  • 2001年 Reptile(レプタイル)*R&Bやフュージョンにまで挑戦した意欲作。まったく年齢を感じさせない好印象盤

ページ制作にあたっての言い訳

まずもって、この個人作成のページは dot. に掲載されたものを、”無断(転載)掲載する記事”であることをお断りしておきます。
私は Eric Clapton のファンであり、1960年代より個人的趣味で音楽を楽しんできた一人として、非常に貴重な資料と思い私の拙いウェブサイトの一角に記したいと思い「無断転載」をしました。著者であります大友氏、関係各位の了承は得てありませんが、日本でも有名なロック・アーティスト … エリック・クラプトンを広く多くの方々の記憶に留めて欲しくてこのようなページを作りました。
非常に第1回〜62回と”長編掲載”になりますが、多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)
1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

道楽親父

  • facebook
  • twitter
gundam-mactanbase.long
新聞トップ
BLOG-Cebu
BLOG-Philippines
代表戸締り役
自宅警備員
bnr-SNN
bnr-JSA
vesmo-titletxt-%e9%80%8f%e9%81%8e

道楽親父

  • facebook
  • twitter
PAGETOP
Copyright © 不肖 藁科豊 Mactan Base All Rights Reserved.