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第45回 『ライヴ・イン・ジャパン』ジョージ・ハリスン with エリック・クラプトン

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2015040100049_1 映画『RUSH』のためのサウンドトラック・アルバム制作と並行して、エリック・クラプトンはもう一つ、大きなプロジェクトの準備を進めていた。ジョージ・ハリスンと日本に向かい、大規模なツアーを行なう。バンドの核は、クラプトン自身と、グレッグ・フィリンゲインズ、ネイザン・イースト、スティーヴ・フェローニ。元オールマンズのチャック・リーヴェル、元エイメン・コーナーのアンディ・フェアウェザー・ロウ、派手なアクションのパーカッション奏者レイ・クーパー、二人の女性シンガーも加わった大編成ユニットでジョージを支え、そこからライヴ・アルバムも発表する。

 じつはジョージは、1974年の『ダーク・ホース』ツアーが酷評されたこともあり、以来、14年間もきちんとした形でステージに立っていなかった。繊細な性格ゆえということなのだろうが、74年は、パティが彼のもとを去った年でもあった。その「親友」をふたたびきちんとした形でステージに立たせる。やや皮肉な書き方をすれば、そういった難しいプロジェクトを実現させることによって、クラプトン自身は90年代初頭に味わった苦悩を払拭しようとしたのではないだろうか。米ローリングストーン誌とのインタビューでは「日本でなら、ジョージが傷つくこともない」と冷静に語っていたのだ。

 91年12月1日から17日にかけて横浜、大阪、名古屋、広島、福岡、東京(ドーム3回)を回ったツアーでは、ビートルズ時代の作品から《タックスマン》、《サムシング》、《ヒア・カムズ・ザ・サン》など、ソロ作品から《マイ・スウィート・ロード》、《ダーク・ホース》、《イズント・イット・ア・ピティ》などが取り上げられた。ハイライトは、7分近いヴァージョンで演奏され、後半、ジョージ/エリックのギターが美しく絡みあう《ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス》。

 コンサート中盤で《プリテンディング》、《ワンダフル・トゥナイト》などクラプトンがフロントに立つ曲も演奏されたが(さすがに《レイラ》はなし)、翌92年夏発表のアルバム『ライヴ・イン・ジャパン』には、ジョージがメインの19曲が収められている。あくまでも、主役はジョージ・ハリスン。クラプトンは冷静に、そういう仕切りを貫きとおしたのだ。

 ジョージ・ハリスンが58歳でこの世を去ったのは、日本でのコンサートからちょうど10年後ということになる、2001年11月。その時期、クラプトンはジャパン・ツアーをつづけていた。11月30日の夜、武道館のステージでギターを弾き、歌っていたときにはもう、親友の死を知らされていたはずだ。

ページ制作にあたっての言い訳

まずもって、この個人作成のページは dot. に掲載されたものを、”無断(転載)掲載する記事”であることをお断りしておきます。
私は Eric Clapton のファンであり、1960年代より個人的趣味で音楽を楽しんできた一人として、非常に貴重な資料と思い私の拙いウェブサイトの一角に記したいと思い「無断転載」をしました。著者であります大友氏、関係各位の了承は得てありませんが、日本でも有名なロック・アーティスト … エリック・クラプトンを広く多くの方々の記憶に留めて欲しくてこのようなページを作りました。
非常に第1回〜62回と”長編掲載”になりますが、多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)
1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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