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第43回 『24ナイツ』エリック・クラプトン

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2015031800028_1 1980年代が終わろうとしていた、そのぎりぎりの段階で、クラプトンは原点回帰を強く意識したものと思われるアルバム『ジャーニーマン』を発表している。そして、そこで得た手応えが、悲劇を乗り越える過程で、ある種の偶然にも助けられて手にすることとなる90年代の驚異的な成功につながっていく。そのことに関してはまた詳しく書くが、ちょっと視点を変えてみると、熱心なファンの方は誰もが、ある変化に気づいていたはずだ。当時の精神状態と大きく関わるものであったのか、40代後半の彼はあらためて髪を長く伸ばし、アルマーニやベルサーチのスーツを独特の感覚で着こなしてステージ立つことが多くなったのである。特注だったのか、贈物だったのか、なんとギターのストラップまでもが、ベルサーチ製だった。

 そのスタイリッシュな出で立ちのクラプトンをイラスト化(ビートルズとの仕事でも知られるピーター・ブレイク)したジャケットも印象的なCD2枚組ライヴ・アルバムが、91年秋にリリースされている。『24ナイツ』だ。タイトルは、91年2月5日から3月9日まで、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで行なわれた24回連続公演からとられたものだが、前年同時期、同会場での18回公演もあわせた音源のなかから、15曲がピックアップされている。

 計42という回数もさることながら、驚かされたのは、その内容の多彩さだった。もちろん、まだ、YouTubeどころか、ネット情報などという概念すらなかった時代だが、雑誌などによればクラプトンは、4人編成、9人編成、ブルース・ユニット、ナショナル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演(指揮はマイケル・ケイメン)という4つの異なるフォーマットでこの連続公演に望んでいるのだ。ライヴ・パフォーマーとしての自信を完全に取り戻し、ステージこそが自分の生きる場所だと、そう再確認したのだろう。

 15曲の内訳は、《ラニング・オン・フェイス》や《オールド・ラヴ》など『ジャーニーマン』収録曲が5、それ以前の代表曲が6、ブルース・スタンダードが3、そして、マイケル・ケイメンとの出会いのきっかけとなった《エッジ・オブ・ダークネス》、というもの。約9分に及ぶ《ワンダフル・トゥナイト》、オーケストラをバックにした《ベル・ボトム・ブルース》など、新しい生命を吹き込まれた名曲も少なくない。

 ここで得た感触や手応えを、どうやって次のステップに生かすか? クラプトンは真剣に考えたに違いない。いや、もう方向性は決まっていたのかもしれない。しかし、すべてはいったん棚上げとなる。91年の連続講演を終えた11日後、4歳半の息子が、母親と暮らしていたニューヨークの高層アパートから転落し、亡くなってしまったのだ。

ページ制作にあたっての言い訳

まずもって、この個人作成のページは dot. に掲載されたものを、”無断(転載)掲載する記事”であることをお断りしておきます。
私は Eric Clapton のファンであり、1960年代より個人的趣味で音楽を楽しんできた一人として、非常に貴重な資料と思い私の拙いウェブサイトの一角に記したいと思い「無断転載」をしました。著者であります大友氏、関係各位の了承は得てありませんが、日本でも有名なロック・アーティスト … エリック・クラプトンを広く多くの方々の記憶に留めて欲しくてこのようなページを作りました。
非常に第1回〜62回と”長編掲載”になりますが、多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)
1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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