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第41回 『ホームボーイ』サウンド・トラック

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2015030400031_2 ヤードバーズに迎えられ、生活の拠点をロンドンに移したころから(つまり19歳前後)、クラプトンは、ソーホー周辺の映画館でフランスや日本の映画をよく観たという。ハリウッド映画ではなくアート系、ということだ。

「クロサワが好きだった」という話を聞いたこともある。並行して、ケルアックやギンズバーグなどビート派の本も読み込んだ。若くして音楽に身を捧げた彼は、短期間で高い評価を獲得することにはなったものの、どこかで、自分をもっと高めたいという気持ちを持ちつづけていたのだろう。強い刺激を与えられたロビー・ロバートソンがブニュエルに傾倒していたというエピソードとも重なる、興味深い話だ。

 そういう背景を考えると、ごく自然な流れだったのかもしれないが、1980年代半ばから90年代にかけて、クラプトンは映画の音楽と深く関わっている。彼のファン層を飛躍的に拡大されることとなった《ティアーズ・イン・ヘヴン》も、最初は、映画への提供という形で発表されたものだった。その後の《イッツ・プラバブリィ・ミー》や《チェンジ・ザ・ワールド》、《ブルー・アイズ・ブルー》もそう。

 少し先の話をしてしまうと、89年発表の『ジャーニーマン』から98年発表の自伝的作品『ピルグリム』までクラプトンは、正確な意味でのオリジナル・アルバムをまったく発表していない。ちょうどこの時期、つぎつぎと映画関連の仕事からヒットを送り出したわけで、「サントラで食いつないだ」という皮肉な見方もあるかもしれないが、彼は、そこでの実験や挑戦を『ピルグリム』以降の創作活動にきちんと生かしていったのだと受け止めている。無駄な9年間ではなかったということだ。

 1985年、ジュリアード出身の米国人音楽家で、ロジャー・ウォーターズ(ピンク・フロイド)とも交流のあったマイケル・ケイメンとともに、BBCのドラマ『エッジ・オブ・ダークネス』の音楽を手がけたクラプトンは、翌年には、《イッツ・イン・ザ・ウェイ・ザット・ユー・ユーズ・イット》を『ハスラー2』に提供。87年には、ケイメンやデイヴィッド・サンボーンらと組んで『リーサル・ウェポン』の音楽を手がけ、そして翌88年、クラプトンが中心となったものとしては初のサウンドトラック作品ということになる『ホームボーイ』が発表されている。ミッキー・ロークが流しのボクサー役を演じた、あの映画だ。

 ここでクラプトンを支えているのは、ケイメン、ネイザン・イースト、元アヴェレイジ・ホワイト・バンドのスティーヴ・フェローニ。《ダニー・ボーイ》を下敷きにしたと思われるメイン・テーマとそのいくつかの変奏、デルタ・ブルース風の《ディキシー》を核に、マジック・サムらの曲も加えて構成し、ジョニー・ウォーカー=ミッキー・ロークの想いや葛藤を表現している。

ページ制作にあたっての言い訳

まずもって、この個人作成のページは dot. に掲載されたものを、”無断(転載)掲載する記事”であることをお断りしておきます。
私は Eric Clapton のファンであり、1960年代より個人的趣味で音楽を楽しんできた一人として、非常に貴重な資料と思い私の拙いウェブサイトの一角に記したいと思い「無断転載」をしました。著者であります大友氏、関係各位の了承は得てありませんが、日本でも有名なロック・アーティスト … エリック・クラプトンを広く多くの方々の記憶に留めて欲しくてこのようなページを作りました。
非常に第1回〜62回と”長編掲載”になりますが、多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)
1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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