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第37回 『アナザー・ティケット』エリック・クラプトン

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2015020400011_1 ライヴ・アルバム『ジャスト・ワン・ナイト』の発売(80年4月)と前後して、クラプトンは、ゲイリー・ブルッカーも含むイギリス人バンドとともに地元サリー州で新作のレコーディングを開始している。しかし、どうやら思うような結果が得られなかったようで、さらには、その直後に報せが届いたカール・レイドルの急死に強い衝撃を受けたこともあり、そこで残された音源は未発表のままに終わった。その後、カールへの想いも込めて新たに曲を書き下ろしたクラプトンは、ひさびさにトム・ダウドと合流し、7月から8月にかけて、バハマのコンパス・ポイント・スタジオで、アルバムを仕上げている。長く在籍してきたポリドール・グループからの最後の作品ということになる『アナザー・ティケット』だ。

 もろにザ・バンド風のオープニング曲《サムシング・スペシャル》、カールに捧げたものと思われるタイトル・トラックと《ホールド・ミー・ロード》、大きなシングル・ヒットも記録した《アイ・キャント・スタンド・イット》、疾走感にあふれた《リタ・メイ》は、クラプトンの自作曲。ブルッカーとの共作曲で、やはりレイドルの影が感じられる《キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン》を含めると、6曲もオリジナルが収められていた。

 マディ・ウォーターズの《ブロウ・ウィンド・ブロウ》、スリーピー・ジョン・エステス《フローティング・ブリッジ》などブルース曲で聞かせるアルバート・リーとのギター・コンビネーションも素晴らしく、全体としては充実した仕上がりのアルバムなのだが、翌81年2月の発表後、クラプトンのアルコール依存はさらに悪化していってしまう。春の全米ツアーは、途中で彼が緊急入院したため一部キャンセルとなり、年末の日本公演では、自叙伝によると、贈物としてホテルの部屋に届けられていた純金酒を一気に飲み干したあと、全身に湿疹が出たという。重度の依存症であることを周囲の人たちに認めたくなかった彼は、それでもなんとかステージをこなしたが、もはや限界だった。

ページ制作にあたっての言い訳

まずもって、この個人作成のページは dot. に掲載されたものを、”無断(転載)掲載する記事”であることをお断りしておきます。
私は Eric Clapton のファンであり、1960年代より個人的趣味で音楽を楽しんできた一人として、非常に貴重な資料と思い私の拙いウェブサイトの一角に記したいと思い「無断転載」をしました。著者であります大友氏、関係各位の了承は得てありませんが、日本でも有名なロック・アーティスト … エリック・クラプトンを広く多くの方々の記憶に留めて欲しくてこのようなページを作りました。
非常に第1回〜62回と”長編掲載”になりますが、多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)
1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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