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第30回 『ライヴ』エリック・クラプトン

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2014121000017_1『461オーシャン・ブールヴァード』の録音を終えるとすぐ、エリック・クラプトンはライヴ活動を再開している。アルバムの仕上げは、全幅の信頼を寄せていたプロデューサー、トム・ダウドに任せ、ベース奏者カール・レイドルを中心にしたアメリカ人バンドとともに、ツアーに出たのだ。当時は、レコーディングにしてもライヴにしても、まだリハビリ中という意識だったと語っていたが、そういった効果も含めて、一刻も早くステージでの感触を確かめたかったのだろう。

 6月19日のスウェーデン、20日のデンマークと、北欧でいわゆるウォーミングアップ公演を行なったクラプトンは(このとき、オーヴァーオール・ジーンズにテレキャスターという不思議な出で立ちの写真が残されている)、28日のコネティカットを皮切りに10月6日までアメリカ各地を回り、その後、日本の土を踏んでいる(10月31日から11月6日まで、東京・大阪、計5回)。

 僕が観ることができた日本武道館でのコンサートを含めて、このツアーでは、まずマーティンを抱えて登場し、チャプリンの《スマイル》や《レット・イット・グロウ》を聞かせたあと、ストラトキャスターを手にするというのが、基本的な流れだったようだ。ただし、おそらく多くのファンが期待していたに違いない強烈なソロはほとんど弾かず、重要なパートはジョージ・テリーに委ねることが多かった。イヴォンヌ・エリマンとマーシー・レヴィという二人の美女とソファに座り、テリーのソロを眺めていた姿も印象に残っている。いろいろな意味で、やはり、リハビリ中だったのだろう。

 エリック・クラプトンの復活ツアーはこのあともつづいていくのだが、その間に彼は、開始直後のロングビーチ、来日公演1カ月後のロンドン、75年6月のロードアイランド公演からライヴ・アルバムを残している。発売順では次回紹介する『ゼアズ・ワン・イン・エヴリ・クラウド』のあとということになる『EC WAS HERE』だ。収められているのは、《ハヴ・ユー・エヴァー・ラヴド・ア・ウーマン》、《プレゼンス・オブ・ザ・ロード》、《ランブリン・オン・マイ・マインド》など6曲。イヴォンヌをフィーチュアした《キャント・ファインド・マイ・ウェイ・ホーム》を別にすると、どうやら、クラプトンのギターをポイントに選曲が行なわれたようで、とてもリハビリ中とは思えないソロを随所で聞かせている。

 このうち、ロンドン公演(74年12月4日、5日、ハマースミス・オデオン)は、2004年発売の『461オーシャン・ブールヴァード』デラックス・エディションで、そのほぼ全貌が正式な形で公開された。本人としても納得できる内容だったようで、とりわけ《リトル・ウィング》でのエモーショナルなギターは素晴らしい。

ページ制作にあたっての言い訳

まずもって、この個人作成のページは dot. に掲載されたものを、”無断(転載)掲載する記事”であることをお断りしておきます。
私は Eric Clapton のファンであり、1960年代より個人的趣味で音楽を楽しんできた一人として、非常に貴重な資料と思い私の拙いウェブサイトの一角に記したいと思い「無断転載」をしました。著者であります大友氏、関係各位の了承は得てありませんが、日本でも有名なロック・アーティスト … エリック・クラプトンを広く多くの方々の記憶に留めて欲しくてこのようなページを作りました。
非常に第1回〜62回と”長編掲載”になりますが、多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)
1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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