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第27回 『コンサート・フォー・バングラデシュ』ジョージ・ハリスン & フレンズ

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2014111900021_1 1971年8月1日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたコンサート・フォー・バングラデシュ(14時半開演と20時開演の2回)は、ロック界初の本格的なベネフィット・コンサートとして、歴史にその名をとどめてきた。提唱者はジョージ・ハリスン。ビートルズ時代後期からインドの音楽、文化、哲学に深く傾倒するようになった彼は、尊敬する音楽家ラヴィ・シャンカールから相談と依頼を受け、独立戦争の余波が原因で深刻な飢餓に苦しむバングラデシュの難民を救済するための音楽イベントを企画したのだった。

 細部に若干の違いがあったようだが、2回のコンサートは、ラヴィ・シャンカールの伝統音楽演奏(ユーモアも交えて企画の趣旨を明確に伝えるトークが素晴らしい)、ジョージとスペシャル・バンドの演奏、リオン・ラッセルを中心にしたパート、ボブ・ディランのコーナー、ジョージを中心にしたフィナーレと進んだ。その間に、リンゴ・スターやビリー・プレストンをフィーチュアしたパート、ジョージのアコースティック・セットもはさみ込まれていくという、じつに多彩な内容だった。

 前年の『オール・シングズ・マスト・パス』につづいてフィル・スペクターが作品化のプロデュースを手がける予定だったこともあり、ステージ上でウォール・オブ・サウンドを再現するため、ニューヨークには30人近いミュージシャン/シンガーが招かれている。そのなかに、エリック・クラプトンの顔もあった。

 デレク&ザ・ドミノスは、全米ツアーはなんとか終えたものの、2作目に向けたセッションの途中、些細なことが引き金で、呆気なく分裂している。アルバム『レイラ』に込めた想いがパティに届かなかったこと、ジミ・ヘンドリックスの急死などもあり、クラプトンはますます深くドラッグに依存するようになっていた。リハーサルもこなせないような状態だったそうだが、ジョージにはなんとか親友を立ち直らせたいという考えもあったのだろう。《ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス》では当然の流れとしてソロを任されているものの、それも生彩を欠くものだった。

 記録によれば、このあと彼は、リオン・ラッセルのコンサートのゲストとして同年12月にライヴを聞かせているが、それから73年1月の『レインボウ・コンサート』までは、ほぼ完全に表の世界から姿を消すことになる。

ページ制作にあたっての言い訳

まずもって、この個人作成のページは dot. に掲載されたものを、”無断(転載)掲載する記事”であることをお断りしておきます。
私は Eric Clapton のファンであり、1960年代より個人的趣味で音楽を楽しんできた一人として、非常に貴重な資料と思い私の拙いウェブサイトの一角に記したいと思い「無断転載」をしました。著者であります大友氏、関係各位の了承は得てありませんが、日本でも有名なロック・アーティスト … エリック・クラプトンを広く多くの方々の記憶に留めて欲しくてこのようなページを作りました。
非常に第1回〜62回と”長編掲載”になりますが、多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)
1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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