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第13回 『ホイールズ・オブ・ファイア』クリーム

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2014081200070_1.jpg.pagespeed.ce.3xteAmdJWu 2007年発表の自叙伝でクラプトンは、クリームのサード・アルバム『ホイールズ・オブ・ファイア』について、まったくといっていいほど語っていない。前回も書いたとおり、完成を前に、彼の心はもうクリームから離れていた。70年代以降もしばしばライヴで演奏してきた《ホワイト・ルーム》という重要な曲を含むアルバムではあるが、作品としては、あえて語るほどのものではないということなのだろう。

 1968年2月から6月にかけて行なわれた北米ツアーの後半には、彼らのステージは、極端にいうと、3人がそれぞれの技巧を競い合うだけの場になっていた。個人の有機的な結合からなにかを生み出す、本来の意味でのバンドではなくなってしまっていたのだ。クラプトンに関していえば、ザ・バンドの『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』から強い刺激を受けてもいた。一刻も早く次のステップに進みたい。そう思うようになっていたはずだが、ヤードバーズやブルースブレイカーズの場合とは違い、もはやクラプトンが辞めれば問題は解決するという状況ではなくなっていた。

 そういった流れのなかで、契約を満了させるために2枚のアルバムを制作することと、10月から11月にかけて最終ツアーを行なうことなどが決まっていく。『ホイールズ・オブ・ファイア』は、つまり、その2枚のうちの一つということであったのだ。

『ディスラエリ・ギアーズ』同様、マーティン・シャープがジャケット・デザインを手がけたこともあり、ヴィジュアル・イメージ的には一つの流れを感じさせる仕上がりになっていたが、内容的には、その2枚には決定的な違いがあった。前作が、3人が均等に力を出しあい、気持ちを集中させて短期間で創作したものであったのに対して、『ホイールズ・オブ・ファイア』はスタジオ録音の曲とライヴ音源をまとめたものだったのだ。契約のためになんとか仕上げた作品と受け止められてもしかたがない。

 クラプトンに関していうと、《ホワイト・ルーム》でワウワウ・ペダルを生かした革新的なギター・ソロを聞かせ、彼自身が歌う《クロスローズ》(ライヴ)で強烈な印象を与えてはいるものの、曲づくりにはまったく貢献していない。『ホイールズ・オブ・ファイア』は、少なくとも彼にとっては、『クリームの素晴らしき世界』と呼ばれるようなものでは、なかった。

ページ制作にあたっての言い訳

まずもって、この個人作成のページは dot. に掲載されたものを、”無断(転載)掲載する記事”であることをお断りしておきます。
私は Eric Clapton のファンであり、1960年代より個人的趣味で音楽を楽しんできた一人として、非常に貴重な資料と思い私の拙いウェブサイトの一角に記したいと思い「無断転載」をしました。著者であります大友氏、関係各位の了承は得てありませんが、日本でも有名なロック・アーティスト … エリック・クラプトンを広く多くの方々の記憶に留めて欲しくてこのようなページを作りました。
非常に第1回〜62回と”長編掲載”になりますが、多くの方にお楽しみ頂ければ幸いです。

プロフィール

大友 博(おおとも・ひろし)
1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。

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